1964年(昭和39年)海外旅行が自由化されて、だれでも自由に行かれるようになった。
私が初めて海外旅行をしたのは1966年(昭和41年)である

当時海外旅行は今ほどポピュラーではなく、自由化されたとはいえ規制は厳しかった。
1米ドルが360円で固定制、1人1年間に使える外貨は500ドルまで、持ち出せる日本円は2万円。
パスポートは1次のみ、手数料500円、交付に半月かかった。申請には旅行社の人が付き添って
くれた。
ほとんどの国のビザが必要で、これが高価でなかなか降りない。

出国時の税関では、不正に外貨を持ち出さないか厳しく問われた。貴重な外貨の流出防止策で
ある。日本円は弱くて海外ではレートがより悪かった。100円が70円ぐらいの価値しかなかった。
毎度義務づけられている天然痘、結核、国によってはコレラ、チフス、マラリア、黄熱病、破傷風
などの予防接種のため出発前の体調管理も大変だった。腕は注射の痕だらけになってしまった。
帰国時には高い税金をかけられるので、ドキドキした。出入国時には必ず持ち物の中の検査が
あった。外国でも税関検査は厳しかった。テロは話題になることはなく密輸入と麻薬の検査である。
のんびりしたお国柄と手作業とで時間がかかった。

こういう事情のなかを旅するので特殊な人を除けば個人旅行は無理で、旗を持った添乗員
(当時はコンダクターと呼んでいた)にぴったりとついて歩く。
パスポートや航空券は添乗員が預かってくれて、出入国、宿泊カードも全部書いてくれた。
観光地でも、日本語通訳がいないところが多く英語やフランス語などの通訳の話を添乗員が
日本語に訳す、質問はその逆。 
ホテルでは添乗員が各部屋まで来て、水回り、電話、鍵とそれは細かく面倒をみてくれた。
そうしないと旅行できなかった。

親戚や友人が歓送迎会を開いてくれたり、お餞別をくれたりするので、そのお返しにお土産を算段
するのも大切で大変なことであった。
ほぼ全員がお酒3本、タバコ1カートンを買って帰国した。これが無税だったから。
フイルムも、現像、焼き付けも大変高価だったので、写真1枚撮るのにもよく考えてからシャッター
を切った。帰国後写真交換会を兼ねた親睦会も行われた。

服装は堅いスーツにハイヒール、皇族のような帽子、革のハンドバック、美容院で髪をセットして・・・
こうして出発した。
今では考えられないような状態だった。

私は外国で見るもの、聞くこと全てに魅了されて、初めにして最後のことだと思って参加したのに、
すっかりはまり込んで、「ほとんど病気」になってしまい今だに治療法がみつからない。
そうしてだんだん旅行事情もよくなり、旅の形態も多様化してきた。私もコツを心得て20年後から
は、一人で好きなように旅を楽しむことを覚えた。企画する楽しさも知った。
海外旅行を通して40年間に得たものは計り知れない。私の有形無形の文化遺産である。
これからも更に意義ある旅を続けたい。

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