20日間

思い出の海外旅行
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2006.4.1 更新

   期間                             都市 観光地                                 形態  
1972 .7/27〜8/15   ケニア ナイロビ ナクル湖 アンボセリ タランジール アリューシャ
タンザニア ンゴロンゴロ
 セレンゲティ マサイマラ マニヤラ湖
ウガンダ 
ビクトリアナイル マーチンソンフォールズ ポートポタール(ピグミーの森)
       ガジンガ運河 クイーンエリザベス公園 カンパラ エンテベ
団体

東アフリカ・サファリ

NO.3  アフリカ

3回目の海外旅行は、アフリカのサファリと決めた。
初めての海外旅行から6年を経ていたが、アフリカは遠い国であった。情報もコースも少なかった。
伝染病予防のため黄熱病、コレラ、チフス、破傷風、天然痘、結核の予防接種を間隔をおいて受け
なければならないので、出発前の体調管理が大変だった。
マラリア予防薬は旅行中も飲み続けた。
飛行機も小型であったので、給油のため5〜6時間おきに寄航した。私達の場合も往路は
羽田→香港→バンコク→デリー(1泊)→カラチ→ナイロビ と正味40時間もかかった。 
トランジットの時間、時差を加えると計算も出来なくなって、心身ともにくたびれ果てた。

しかし、アフリカの地を踏んだ途端、疲れが吹っ飛んだ。
抜けるような青空、輝く太陽、鮮やかな緑、色とりどりの花や鳥、美しいボデイラインの女性達、あど
けない笑顔が可愛い子供達、カラフルな服が似合っている・・・ とうとうアフリカへ来た!どんな旅に
なるんだろう、どんな動物に会えるかな・・・期待で胸が膨らむ。

「野生動物は我が国の宝である。何人も彼らの幸せを奪うことはできない。」
空港で、ホテルで、国立公園の入り口で、大きく書かれたこの文字が目に飛び込んできた。
人間がお邪魔させていただくという気持ちで旅しなければならないと痛感した。

メンバーは12人、添乗員1人、デインジャーの資格を持ったドライバー付きのサファリカー2台に
分乗して行動した。

宿舎は外国人旅行者用ロッジ、頑丈で機能的で清潔であった。
旧イギリス領だったので、英語がよく通じた。食事はヨーロッパ風が基調で、伝統的なものもまじって
いた。許可されている野生動物の料理が出ることもあった。インパラ、ワニなど。

都市を離れると、電気、水道等の設備はなく、大自然の中で人間と動物が共生している。
各部族には固有の文化、生活習慣があって、互いに協調しているが時に闘争のもとになることもあ
るので、私達もそのことを尊重して旅するように心がけた。

簡単に行けない所だけに、興味引かれることも多かったし、珍しい体験もできて終生忘れ得ぬ旅と
なった。
国立公園の出入り口 有料 動物保護を協調される  サファリカー 危険防止のため下車しないで見物する
ナクル湖→
フラミンゴの生息地 世界中のフラミンゴが集まったかと思う
ほど、湖面が一面ピンクに染まっていた


アンボセリではキリン↓

象のボス
威嚇するため車に向かってきた
うなり声をあげながら
道なき道を一日平均500キロ走った よく故障した
人家もないところ、ドライバーは修理もできないと
 ガソリンの補給 竜舌蘭の葉を使って
ライオンの餌食になったヌー ハエイナが遠巻に、上空では
ハゲタカが旋回している
 満腹になったライオンは昼寝
許可された狩猟動物で作った製品 全部輸出品  マサイ族の美女達 写真を撮らせてくれた
カバの親子 ケニア タンザニアは乾燥したサバンナの国
ウガンダは水の豊かな国 水棲動物の宝庫
 ロッジの庭で草を食べるイボイノシシ
ピグミー族を訪ねて
ピグミー族は狩猟民族で定住しない
おとなしい人たちだが、森の奥深くを移動しているので、途中
の安全のために銃を持った警官が付き添ってくれた
途中川の中に沸き出す温泉があった 熱くてだめだったが

半日走ってやっと出会えた
身長135センチぐらいのこびとさんたち
30人ほどの部族総出で出迎えてくれた 歌いながら踊って

ドライバーと話す長老
随分小さいのがわかる 140歳だというけどほんとうかな?↓
豊かな川で暮らす漁民 首都カンパラへの帰路 名残惜しそうに見送ってくれた象
民族舞踊 笛と太鼓に合わせて情熱的に踊り続ける
赤道を示す白線
ウガンダ国内に赤道が走っている


右足は南半球を、左足は北半球を
踏みしめて立っている
ディナーは多少おしゃれして
ミニスカートが流行っていた・・・
若かりし頃のゆめ子おばちゃま

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野趣味満点のテント
ガードマン」が夜中火を焚いて
守ってくれた