過酷な旅体験編

シルクロード6000キロ
極限の旅
A 悪路    未舗装道路の揺れと埃 悪路の峠越え 高山病

昔のシルクロードもアジアハイウエーというモダンな名前に変わった。
らくだに乗って移動していた小道と比べれば幅は車用に広くなったが、整備状態はお粗末で
特にアフガニスタンでは未舗装、小岩むき出しで、崖崩れや道が消えていたり、土埃で
視界不良など、話には聞いていたが散々だった。

シートベルトなんてないし、運転も乱暴なので、前の座席にしっかりつかまっていないと振り落とされ
てしまう。気をぬくこともできない。
夜になると体のあちこちが痛かった。

バーミアンへの峠越えは命がけだった。
2900m級の峠をいくつも越えた。
細い道の片側はそそりたつ断崖絶壁、もう一方は千丈の谷、曲がりくねった坂道を
切り替えしながら 登って行くときは生きた気がしなかった。

谷底には墜落したトラックがひっくり返っていたり・・・

対向車とすれ違うときはみんな下車した。
外で見るのもまた怖かった。

おまけに私はなぜか高山病に弱い。
すぐ頭が痛くなる。
「なのになぜ 歯をくいばり 君は行くのか そんなにしてまで」 歌の通りだ。

でも、苦難を乗り越えてに訪れたバーミアンの遺跡群とバンダミール湖は、私たちにを十分魅了し
大きな満足を与えてくれた。



B ラマダン(断食)   断食は旅行者にも波及する。

この旅行中はラマダンの時期だった。
ラマダンはイスラム暦の9月に一ヶ月行われる断食である。
日の出がら日没まで、飲食を禁じる。タバコもだめ、無駄口をきかない。
宗派によっては唾液を飲み込むことも禁じられる。
一日5回ただひたすらアラーの神に祈りを捧げる。
日没後から日の出までは禁が解かれ、また、高齢者、子供、妊婦、病人は免除される。

ラマダンの目的を極言すれば、「全ての欲から脱して、汚れのない精神状態になることを
求める。」である。


私たちと旅を共にしてくれたガイドとドライバーはみんなイスラム教徒たった。
彼らは日中一切の飲食をしなかったし、特にドライバーは滅多に声を出さなかった。
時間がくると何をしていても中断して敬虔な祈りを捧げた。
職務は立派に果たした。

さて、このラマダンがわれわれ旅行者に及ぼす影響はというと、

@ お祈りの時間になると、移動と観光は中断される。
   ガイドとドライバーは磁石でメッカの方角を探す。地面に小さなカーペットを敷き、小さな石を
   頭の位置におく。それからコーランの一節を唱えながら立ったり膝間づいたり、二人は
   ぴったりと動作を揃えて10分ぐらい続ける。
   その間私たちも休みをとることにする。
   厳粛な儀式のときなので、飲食や大声での話しは慎んだ。

A 営業、労働時間の短縮。
   日中、商店やレストランが開店休業状態だったり、一部博物館なども早々と閉館してしまい
   不便だった。

ある夜、私たちはガイドさんを囲んでもろもろの話をした。

「ラマダン中に苦しいとか、止めたいとか思ったことはないか。」

「一度もない。14歳のとき初めて参加した。成長期でもあり空腹は耐えがたいほどの
思いだったが、この苦痛に耐えてこそ一人前になれるのだと誇らしい気持ちであった。
それから毎年ラマダンを喜びと共に迎えるようになった。一ヵ月後の終了時には精神の
乱れや汚れが落とされて、達成感と幸福感に満たされる。

あなたたちは一生に一度のラマダンも経験しないで死んでいくんですね。
気の毒に。
なんとか救えないものだろうか。」

しーんとなってだれも何も言わなかった。
ことばにはならなかったが、煩悩が少し洗い流されるような気持ちになった。 



C 禁酒  イスラム教では飲酒は罪悪・犯罪。

禁酒はイスラム教の教義として、イスラム教徒に課している義務のひとつである。

禁酒を怠ると、
アラーの神を忘れてしまう。
正気を失い悪事を行う。
死後天国へ行けない。
ということだそうだが、本気でそう信じて守っているのだろうか。
飲酒が発覚して鞭打ち80回の刑に処せられたり、見せしめのため死刑になった例もあるそうだ。

さて、非イスラム教徒の外国旅行者にまで禁酒を押し付けてはいないので呑めないことは
ないのだが、アルコールにたどり着くまでが大変だ。


まず、酒場とか酒屋はない。呑めるところは外国人用ホテルの飲酒用の部屋のみ。
宿泊者が望めば一日一枚の「飲酒許可証」がもらえる。
氏名、国籍、パスポートNO.など入国時と同じような項目に加えて
本人と配偶者の宗教、両親の宗教まで書かなければならない。
パスポートと共にその用紙を提出し、代金1000円ぐらいを払う。
全員揃うと係官の誘導で地下室へいく。
20畳ぐらいの部屋には窓がなくて薄暗い、ドアも閉められてしまい、イスもない粗末な
スタンドに出されたコップ一杯のビール(冷えていない)を急いで呑まなければならない。


ありがたいと思え。アラーの神の特別なご慈悲で罪悪を見逃していただいているのだと理解しな
ければならない。
私はどんなところでどうやって呑むのかが知りたくてついて行っただけなので、
とても呑む気にはなれなかった。
隣に立っていた男性に目配せして呑み干してもらった。ばれたら鞭打ち?。
5分もしないでお終い。挨拶もなく、まるで犯罪者が牢獄から出されるようにして解散となった。

「ばかばかしい!」 「あぁ 酒が呑みてえよ〜」 異口同音に出た言葉だった。

事前にこのことを知っていて日本から缶ビールを持って行った男性がいた。
アフガニスタン入国時に発覚し、「お預かり」となった。
取り上げられたのではない。アフガニスタン出国時に返すという。
でも出入が同じ都市ではない人はどうするの?
私たちもアフガニスタンからイランを通り、トルコのイスタンブールから帰国するのだから、
同じところには戻らないのだ。
結局30本の缶ビールは合法的に没収されてしまった。
しょげ返っているおじさんにかける言葉もなかった。

これは1978年に実際に体験したことだ。
ただしアフガニスタンとイランでの話。トルコではビールを売っている店もあった。

現在はどうなっているのだろうか。



D 食事    単調な食事

このシルクロードを辿る旅には「昔の隊商の旅を偲ぶ」という趣旨が含まれていた。
それで、交通手段はバスで、宿舎もときどき巡礼宿・キャラバンサライ、食事もイスラム食
であった。

イスラム諸国では豚肉は食べない。
肉といえば羊。羊肉を香りの強いハーブで煮込んだものだった。
羊の脂をまぶしたご飯かナン。
瓜(カルブーザ) チャイ(熱いバター茶)


このパターンの繰り返しであった。
私は好き嫌いがなく、どんなものでも美味しく食べられる。グルメでもない。
日本食が恋しいとかいうこともなく、いつでもその土地の名物を楽しむことにしている。
日本食はお茶以外持って行かない。食事で困ることはない。

ところがこの時ばかりは参った。
羊特有の強い臭い、それに対抗するかのようなくせの強いハーブ。
べっとりねっちゃりした羊の脂。パラパラな細長いお米。ダンボールのようなナン。
今インターネットでみるシルクロードの食事の写真とは大違いだった。
食欲はわかないが薬だと思って食べるようにした。


E 水不足     石油より高価な水

乾燥地帯を行くのだから、水不足は当然のこと。
朝出発時にもらう水筒一杯のお湯・1000ccが一日分の水分となる。
喉が渇くので全部飲用になってしまった。

体中が埃だらけになるし、巡礼宿にはシャワーはなかったので、ウエットティシューで
しのいだ。
一部のオアシスなどを除き川や湖はなく、ペットボトルなどない時代。
水売りの水は衛生上心配だし・・・苦労した。

日本の水事情は世界一だと思った。 今もこの考えは変わっていない。
外国から帰国して最も嬉しいことは、いつでもどこでも安全な飲み水が無料で飲めることと
たっぷりの熱いお風呂に浸かることだ。

 
F 感染症   だれもが襲われた食中毒

暑さと疲れで弱った胃に瓜以外受け付けなくなってしまった。
そうして体力が落ちたところで細菌性の食中毒にかかってしまった。

13日目、テヘランで嘔吐と下痢と腹痛で一晩苦しんだ。
既に10名ぐらいの人がやられていた。同じような症状だった。
アメーバー性の細菌感染だった。

乾燥地帯で雨が降らないから水が不足している。石油よりも高いといわれていた。
だから清潔が保てない。熱いので腐敗も早いだろう。

絶食して寝ていれば治ると思った。
幸いなことにテヘランに4日滞在したので、観光を休んで寝ていた。
お陰ですぐ元気回復した。

残る半月の間に全員が代わる代わる病気になった。
2回、3回とやられた人もいた。
日程の都合で休むこともできず、移動しなければならない人は気の毒だった。

でも、重症化したひとはなくて、全員そろってゴールインできてよかった。



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@ 気候    高温低湿の厳しい熱帯内陸気候。

アフガニスタンの気候は大陸性で、夏は暑く、冬は寒い。
国土の大半は乾燥しており、真水の入手できる場所は限られている。

南部の標高の低い地域(カンダハール、ヘラート)では、連日40〜45度、湿度5%というような中を
旅した。
それまで私は「高温多湿」が最も厳しい、凌ぎにくい気候だと思っていた。
高温でも湿度が低ければ快適だと思っていた。(日本での気温と湿度で考えて)

しかし、高温低湿の方が、ずっと過酷で危険なのだ。

極度に高温で低湿であったらどうなるか。

汗をかいたという感覚がない。
汗は出ているのだが、瞬時に蒸発してしまう。時計バンドのところとか、椅子に触れていた衣類は
ぐっしょり濡れている。

息を吸うと、鼻や喉の粘膜が焼けるように熱い。気管支の方まで熱くなる。
それで新発明!!!
タオルを水で濡らす。口と鼻を覆い端を耳に挟む。濡れタオルを通して湿った空気が吸えるので
楽になる。すぐ乾いてしまったが。(ゲリラスタイル)

メンバーの中にプロの写真家がいた。多数の高価なフィルムを持ってきていた。
画質を落とさないために彼が考えたことは・・・

フィルムを手ぬぐいで包み、体に巻きつけた。体温は36度。どこよりも低温なのだ。


さて、カンダハールで、摂氏54度という体験をした。

その日も朝から太陽はギラギラで、かげろうのように景色が揺れていた。
土埃の向こうには蜃気楼が見えた。森、城壁、水溜りなどがゆらゆらと見えた。

バスがオーバーヒートしたので下車し、土塀のわずかな日陰で休んだ。
初めは軽い、めまい、頭痛 吐き気を感じていたが、そのうちに
頭がぼぉ〜として、なにも考えられなくなった。
手足を動かすのも面倒くさい。目を開けているのもかったるい。口をきく元気などない。
体の感覚が狂ったのか、暑いとか苦しいという感じはしなくなった。

大変危険な状態だったのだ。
高温低湿が体をこんな状態にさせるとは想像もできなかった。

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