トルコ編

シルクロード6000キロ
極限の旅
国境越え

イラン最後の大きな街タブリーツを後に、マクー経由で国境のバルガンに着き、トルコに入国した。
「忍耐の極限」を強いられる国境越えだった。

朝7時ホテル出発、大型トラックがたくさん走行していて、国境近くになると渋滞が始まった。
日本のお盆休みよりもっとひどい状態で全く動かない。
ドライバーたちは車から降りてしゃがみこみ歓談している。
どうすることもできないので、私たちも「イム シャラー 神のご加護があれば」でかまえるより
他にない。

イラン国境の検問所についたのは12時ごろだった。
ここでイランのガイドさんともお別れ。彼もまた革命を無事に潜りぬけられただろうか。

荷物検査が終わったのが1時ごろ。
やれやれ出国かと思いきやとんでもない。

出国審査をする税関は山の上。 2キロ先。
「荷物はトラックに乗せて運ぶが一緒に乗って行くか、歩いてもいいが30分はかかるよ」
「えっ いい加減にしてよ。」 タクシーなんてないし。
トラックの荷台でガタガタ揺られて・・・「郷に入っては郷に従え」

山の頂上に着いてまたびっくり。
トラックがびっしり並んでいる。昨日から通関を待っているのもあるそうな。
物置小屋のような建物の中で、床に座ってひたすら待つた。
お腹が空いた。みんなで貴重品の日本のお菓子を分け合って食べた。
出国手続きが終わったのは3時過ぎだった。

やれやれ!!でもこれで半分なのだ。
これからトルコ入国手続きをしなければならない。
トルコ税関の建物は近くにあったが、狭くて暗くて誇りっぽい。椅子もない。
そこでまた2時間待たされた。
外の方が気持ちがいい。よく晴れた空の向こうにトルコ最高峰のアララット山(5131m)
の雄姿が望めたが写真撮影禁止で撮れなかった。


もう一度荷持検査があって、入国手続きが済んだら5時ごろだった。
バスの座席に座ったとき全身の力が抜けちゃった。避難民になったようだった。
この日は国境を越えるだけに5時間もかかった。
朝食後11時間ろくに飲食していない。
レストランらしきものはなかったし、
もしあったとしても「ラマダン」だったので閉まっていただろう。
それからエルズルムまでまたバスの旅。どのくらいかかったか覚えていない。
夜も更けてホテルに着いたとき、半分死んでいた。「神のご加護」はなかった。

これを「忍耐の極限」と言わずしてなんといおう。
1978 .8/18〜8/25   8日間
車窓からのアララット山と小アララット山

この山に、「ノアの箱舟」がたどり着いた
という伝説が伝えられている

富士山にそっくりな山が2つも
日本が懐かしい

ちょっとひどい写真なので、

借用写真を ↓ 
トルコ最高峰

アララット山
5137m

小アララット山
3896m

借用写真

トルコの旅が始まった

1924年に国王を追放し、イスラム圏初のトルコ共和国を建立した。
独立戦争の英雄・アタチュルクの推進した西欧化路線を護持、ソ連との対決政策がとられていた。
加えて地理的にもヨーロッパに隣接していることから、イスラム教国でありながら、ヨーロッパ的な
様子があちこちで見られた。


トルコに入国して気づいたことは

@ 酒を売っている店があった。   ただしイスラム教では禁酒なので目立たないように
              呑まなければ ならなかったが。
              半月ぶりにビールを手にした御仁たちの嬉しそうな顔といったら・・・・
A 女性の服装    髪はスカーフで覆っていても、欧米風の服を着ている人がかなりいた。
B 食事        食品の種類も増えて、献立に変化がみられた。
              旅行者用レストランはいつでも営業していた。
C 町のようす    地方の道路や民家はイランよりは貧しそうだった。
              女の子の姿を大勢見るようになった。
              イスラムの掟が少し緩やかになったような感じがした。
D 物価        高くなった。物資は豊富だが。

エルズルム

トルコ最初の観光はエルズルム。
古来よりシルクロードの重要地として栄えた。
11〜12世紀の建造物が残っている古都である。
標高2000mの高原で涼しかった。

国境越えに時間がかかった余波で駆け足観光となってしまった。

チフテ・ミナーレ トルコ最大級の神学校 1253年建立 ミナレット 痛みが激しいが補修はしていなかった
王の墓 イスラムの墓としては珍しい ヤクティエ神学校 1310年建立 一部博物館

シバス

絨毯の街・シバスにちょっと立ち寄る。
手のかかる絨毯は見事なものだが、値段も安くないし日本への輸送費が高い。
購入する気もないので、カメラ片手に村を歩く。

昔の面影の残る通り、屈託のない子供たち。
女の子もいっしょになって遊んでいる。自然でいい感じ。

ずっと昔からこの光景 多分 まるで自転車に乗るように
女の子の姿をたくさん見た 覆いきれない長い髪

カッパドキア

トルコ中央部のアナトリア高原に広がる火山灰の台地で、巨岩がそびえ、キノコ形の奇岩が林立する  
自然の驚異的景観地である。

3世紀半ばにローマ帝国の弾圧を逃れたキリスト教の修道士たちが、カッパドキアに移り住んだ。  
彼らは柔らかい岩をくり抜いて住居や教会を作った。
1965年に発見された地下都市は、地下8階、深さ65メートルに及ぶ巨大なもの。
地下1階のワイン製造所、地下2階の食堂、居間、寝室、収容人数に合わせて自由に掘り進められた。
最下層の空間は十字架の形に掘られた教会になっている。

私が訪れた1978年時は、発掘の最中で見学できるところは極狭い範囲だった。
かなりの人たちが横穴住居に住んでいた。
政府は安全と衛生面から退去を勧めて新しい住居を用意したが、人々は移住したがらずいったん
移住してもこっそり戻ってきてしまう家族もいるとのことだった。

私は思った。カッパドキアは観光的価値が大きい。
今に、そんなに遠くない将来ここはトルコ有数の観光地になるだろう。
この考えは当たった。
1985年複合遺産に指定され、ホテルや観光施設も完備されて、今やカッパドキアはトルコが
誇る観光地として訪れる人が絶えない。

カッパドキアが近づいてきた 不思議な国へ降り立ったような光景
奇岩と馬車と 地下都市への入り口
中は無数の通路で結ばれ、4万人もの人が住んでいた 壁面や天井の壁画
一般住宅には住人がいた 堆積した火山灰が侵食されてできた奇岩

アンカラ

トルコの首都、第2の都市。
観光的には見るところがすくない。
考古学博物館、アタチュルク廟とアンカラ城址へいった。
アタチュルクは初代大統領。近代トルコ共和国の父として崇められている。
商店街や靴磨きの姿もなんとなく垢抜けしていた。

アンカラへのシルクロードには再び昔の面影の残る家並みが見られた。

シルクロード沿いの民家 土レンガ製  屋上は農作業の場 ときに寝ることもある
モダンな商店とおしゃれな子供たち 靴磨き やっぱり都会だ
アタチュルク廟 廟に建つ独立の塔
考古学博物館 アンカラ城

イスタンブール

イスタンブールはアジアとヨーロッパの2つの大陸にまたがる都市である。
かつてローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国と3代続いた大帝国の首都だった
そのため、博物館、教会、宮殿、モスク、バザール(市場)、美しい自然など、見どころに尽きない。

イスタンブールに入ってまず驚いたのは人の多さ、賑やかさである。
整備された高いビルや広い道路、行き交うアジア系、ヨーロッパ系、アフリカ系の人々。
ラマダンも影を潜めている。
これまで旅してきた他の都市とは違う、でもイスラムの世界には違いない・・・・
そんな雰囲気に包まれた大都会だった。

トプカプ宮殿 皇帝お住居だった  現在は博物館 現在は博物館の石棺  貴重な手工芸品の宝庫
ターバン止め  (借用写真) ハーレム 
アヤソフィヤ寺院 4世紀キリスト教会として建てられ6世紀にモスク となっった キリスト像は漆喰で塗りつぶされていた
ブルーモスク 17世紀建立 手を洗い靴を脱いで入る  天井の照明
ボスポラス海峡より アジアとヨーロッパの境界 ルメリ ヒサル 15世紀建立の要塞 対岸はアジア
バザール コーヒーを飲みながらの値段交渉も楽しい 靴磨きの少年たち

旅の終わりに

こうして中東のシルクロード6000キロの旅が終わろうとしていた。
思い返せばまさに「極限の旅」であった。
高温低湿、悪路とおんぼろバス、イスラム食、感染症、それにラマダン。


しかし、それ故に他の旅行では味わえない貴重な体験ができた。
「こんな旅、もうこりごり?」と聞かれたことがある。
答えは「全然コリゴリしてないわ。明日はどんなことをさせてくれるかと思うと身震いするわよ(笑)
でもねぇ、ほんというと一回家に帰りたいわ。観光が終わったら空飛ぶ絨毯で帰って、お寿司食べて
熱いお湯たっぷりのお風呂で足を伸ばして、そして朝目が覚めるとこのホテルにいる・・・
っていうのはどう???」   みんなで大笑いした。

あれから30余年が過ぎた。
3国はそれぞれに変化した。その様子をもう一度見てみたい。
わけてもアフガニスタンに恒久の平和が訪れて、あのゆったりとした国の大きな懐にいだかれたい。



民族舞踊ショー


旅の終わりにショーを観にいった。

伝統的な衣装を身につけたダンサーが
エキゾティックな音楽にのって踊る
ショーは素晴らしかった。

久し振りに観光旅行らしいひとときを
過ごした。





頼もしき同志たち


「♪歯をくいしばり
  きみは行くのか そんなにしてまで♪}

喜びも苦しみも分け合った同志たち
いつまでも断ち切れない強い絆で結ばれた。





 
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完  長い旅行記をご覧いただきましてありがとうございました。

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